HISTORY
コーリヤマの40年を辿る
コーリヤマの歩み
女性たちが集える場を。
昭和49年8月、大手ブランドシューズの分工場として創業者藤河久三の敷地内にあった豚舎を改築しスタートしたのが当社の始まりです。
当時、創業者久三の妻である栄子(現会長)は、郡山集落に嫁いだ若い女性たちが、嫁ぎ先の農家で引きこもりがちになるのを憂いていました。
そのような女性たちが集える場になれれば…という栄子の想いから立ち上げた会社がコーリヤマなのです。
その後、2年の月日をかけて製甲技術の高度化を図り、昭和51年8月に社員数19名で有限会社郡山製甲所として独立起業しました。
社名にあるコーリヤマは、地域の名前からとったもので、郡山周辺の女性たちが集える職場にしたいという想いがこめられています。
小さな工場でしたが、徐々に技術を上げ取引先様からの信頼を積み重ね、受注も従業員も増えて行きました。そして創業から14年後の平成2年9月には、商号を有限会社コーリヤマと変更し、業務の拡大に伴い、現在地に新社屋を建設することになりました。
創業当時の工場の様子(写真右が現会長の藤河栄子)
社員数19名で事業を開始。地域の女性が集える場をめざして―。
創業から14年目に、現在地に新工場を構える
念願の新工場完成と新たな希望を胸に催された祝賀会
工場全焼、苦難を乗り越えて―。
ところが、新社屋完成からわずか3年後、工場は大きな火災に見舞われることになります。
夜間の出来事で、けが人は出なかったものの、知らせを聞きつけた頃には冬の夜空を赤く染めるほど火が高く上がっており、なすすべもなく新社屋は焼け落ちてしまいました。
当時はバブル経済が崩壊し、後に失われた10年といわれる厳しい経済状況―。
大切な材料も、出荷前の製品も、お借りしていた機械も、全てが焼け焦げ、お取引先様にも多大な損害を与えてしまい、再建が危ぶまれる状況でした。
火災で焼け焦げた工場
猛烈な火で大切な機材が全て灰に
まだ新しかった工場は見るも無残な姿に
唯一残された事務所・休憩室も火災の熱で設備は不能に
再建は無理かとあきらめかけていたその時、損害を与えてしまったお取引先様や関係工場様から、「この機材を使ってください!」、「古いミシンですが使ってください!」と強力な支援をいただくことになりました。
焼け焦げた社屋を目の当たりにした当時の社員も、火災で存続できるか危うい会社であるはずなのに、「また一緒にはじめましょうよ!」と手を取り合って奮起してくださったのです。
そして、1か月後には仮設工場にて再稼働を果たし製造を再開、その11か月後には火災前と同規模の現社屋を建設し再建を果たすことが出来ました。本当に感謝しても感謝しきれない思いでした。
そのときの思いが、当社の経営理念の「共に支え合う」というフレーズにつながっています。
平成10年3月には多品種少量生産への対応力アップを目指し、PDPsysを導入しオンライン生産を開始。
平成22年11月には経営理念を明文化し、現在その理念実現に向け取り組んでいます。